第一青少年育成会(S38年8月~62年)

 昭和38年秋、市の人口は八万を超えたばかり、神大団地の最後の仕上げで、今に大きな団地ができて、人がどっと増えるそうだと噂しきり。本多市長が誕生して一年経ったばかりで、これ又大変な張り切り時代でした。

 青少年対策地区委員会の再編成をしました。それまでは、全市五地区であったものを、小学校通学区毎としました。当時、小学校が十校でしたから10地区委員会できたわけです。一地区委員会の構成は五十名。交付金は一万円でスタートしたのです。主管課は、民生部厚生課社会係。・・・途中略・・・

 新しい町、新興都市、都心からくる遊客によって荒らされるまち、土地に愛着のない人たちの無責任な発言の多い市、話題と言えば土地の高騰のこと、青少年非行・・・・・・

東京オリンピック前後には、人口増加率全国二位とまで言われた我が調布市の当時でした。安達さんが、うずら台の問題をかかえて見えたのは、こんな時だったのです。

うずら台のみなさんが、他に先駆けて、青少年育成会を造り上げた、明哲なことでした。今でこそ、東京ふるさと運動などと聞きますが、十年前うずら台は、ふるさと運動のスクラムを組んだのです。・・・・・・・(会の命名者であり、主管課施設の児童館館長三吉達様の十周年記念誌寄稿文より)